日野原重明先生の、「いのちの授業」って本に、「命とは、あなたが持っている時間です」って内容のことが書いてあってん。
日野原先生のことは存じ上げていたけど、その話に初めてふれたのは33歳の時やってん。
当時、学習塾の先生をしていたけんけん。
国語の教材に使われてるその文章を見て、
「そうか!?そやったら、命ってめっちゃ味気無くない?」て思ったんが正直なところ。
その時のけんけんは、命って、もっと果てしなく奥深く、壮大で、宇宙とも繋がってて…ってなんかぼんやりそんな感じしててん。
今思ったら、「たましい」とごっちゃに考えてたんかも。
今世、この肉体の「命」って考えたら、確かに「命は残された時間」やわ!って今はめちゃくちゃそう思う。
何でそう思うようになったんか話すな。
けんけん女性やからこの体験ができたんやけど。
妊娠して、出産して、子育てして…って、子どもが産まれてからは、ほぼずっと子どもに自分の時間使ってるねんな。
子育てしてたら、「自分の時間が無い」って強烈に感じるねんけど、そこで初めて、子どものために自分の時間使うって、自分の命使ってるってことやなって感じてん。
そしたらさ、自分のお母さんも、自分にたくさん命使ってくれてんなって思ってん。
働きに行ってくれてたお父さんも、膨大なお父さんの命(時間)、私にくれててんなって。
そう思ったらさ、けんけん今までいろんな仕事で働いてきたけど、それも、誰かのために、けんけんの命使ってたんやなって。
そしたら、あの時間、無駄じゃなかったなって思うねん。
逆に、命使ったんがもったいなかったわって思う出来事もあった?笑
(めちゃめちゃある爆)
でも、そう思ったら、今から、これから、「これは自分の命を使うに値するか」って目で、やることを選ぶこともできるやんな。
さっきのけんけんのお母さん(専業主婦)、お父さんの例みたいに、
お母さんの直接自分と遊んでくれたとか、ご飯作ってくれたとかは「自分に時間使ってくれた」って実感しやすいよな。
けど、仕事に行ってたお父さんみたいに、そうやって自分の知らへんところでも、自分のために命を使ってくれている誰かがいるんやなって思うねん。
そしたらさ、自分って色んな人の命もらって生きてるねんなって思わへん?
それだけでも、自分の命って大切やな、尊いなって思うねん。
あなたの命は、あなただけの命でできてへんで。
今まであなたに関わってくれた全ての人の「命の時間」で成り立ってる命やで。
そして、このブログを読んでくれたあなたも、私のために「命の時間」使ってくれてありがとう。
今日、「命の時間」何に使う?


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